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2011/03/14(Mon)

職場は無事でした、古い建物で耐久性がないために4月からは新校舎になる予定で引越し途中の段階だったのでもしかしたらと心配はありましたが、問題はなかったようです。

自身では地元や岩手、宮城に比べれば大したことはないと思ってはいましたが、地震がきてすぐに停電となり復旧に半日以上かかったことを振り返ると、今となっては大変な事態だったのだろうと、思わされます。
明かりのない夜は本当に暗闇で、一人暮らしのため不安な一晩を過ごしました。
強い余震がきたときに一度外に出たのですが、その時見た夜空が本当に綺麗で明かりが無いとこんなにも星が見えるのかと初めて体感しました。

親戚や友人の無事は確認できましたが、津波に引き続き土砂崩れに巻き込まれ生き埋めにあった方々など、被害が拡大しつつあるので今後も油断はしていられません。
津波で被害が大きかった理由は、今までにも何度かあった津波警報では大した津波ではなかったのでしょう、大丈夫だろうと思い込んでしまった方々が逃げ遅れ巻き込まれてしまったようです。
スーパーでは食料品が品薄状態で、ガソリンスタンドでは混み合いなかなか給油できないでいます。
食料に関しまして、母に「冬道は滑るから後ろに後ろに重い物を積んでおきなさい」と言われていたことから箱買いした飲料水を積んでいたことと、また以前からたまに送ってくれていた缶詰類を、普段は自炊しているので食べずにとっておいたことで、なんとかことは足りそうです。
実家では肉類だったりは買い足して冷凍しておくのが当たり前のようになっていましたから、あたしも見習って冷凍食品などのストックはいつもしておくようにしていました。
ガスも水道も使える状態にありますが、母に感謝感謝です。
なんて、実際に会ったら面と向かってそんなこと照れくさくて言えませんけどね。

地元に帰省するための電車も今のところは電力の供給が回復していないため全線運休となっており、帰省できるかもわかりません、週末会社説明会があるのですが、この状況では欠席も止む終えません。
有料道路は通行止めというわけでもなく通れそうですが、上記通りガソリンの給油がそれまでに間に合うかどうかに左右されそうです。

父が「家を建てるなら海岸沿いから遠くで、高いところにしろ」と常々言っていたことを、ふと思い出しました。
実家は勿論津波の被害は受けていませんし、あたしが今住んでいるアパートも海岸沿いからは遠く内陸の方にありましたから、停電だけですみました。

今日は昨日までに比べると比較的暖かい日です、春の感じがします。
けれども雲行きが怪しくなっており、その上風がとても強くこの強風の影響でさらに被害が出ないか心配でもあります。

あたしの環境はガスも水道も使えて、電気も比較的早く復旧した方だと思っています。
そんな間近で津波で家を失ったり、大切な人を失ったりしている方々がいるだなんて、正直思えないというか、現実だと未だに信じられないでいます。
人間が作ったものは決して自然には敵わないですし、また絶対的なものはありません。
ニュースでコメンテーターの方が「原子炉の安全は絶対だと思っていたのに」なんておっしゃっていましたが、自然災害には当然敵いませんでしたし、もしも日本が他国と戦争する状況になった場合に、狙われるのは原子力発電所のある地域だったり自衛隊基地だと思っていますから、そういう意味でも安全だとは言い切れないと私的には考えています。
被爆の恐れを今も報道されていますし、そんな原子力発電所のある上に津波の恐れもある地域で親戚や祖母が日々暮らしていて、今尚非難していると思うと、心配というよりとにかく不安で仕方ありません。

ニュースを見るたびに悲しい気持ちとため息ばかりをついていますが、いつまでも落ち込んでもいられませんね。
この状況下前向きになんて無理な話かもしれませんが、それでも今は助け合うことしか出来ないからやれる事をやると、踏ん張っている被災地の方々がいます。
その人たちは本当に心の強い方々なのかもしれませんが、もしかしたら不安や恐怖を打ち消そうとして前を向いているだけなのかもしれません。
悲しい時や怖い時は素直に涙を流してください、失ったものは取り戻せません、けれど手を取り合い再び新たな道を築いていけるはずです。

3日ぶりに救出されたご老人の方もいらっしゃいます、希望はまだあります。
今以上に被害が拡大することになったとしても、どうか皆さんの命だけは無事でありますように、祈ることしかできませんが、ただそれだけを願っています。

長文失礼しました、つたない文章にも関わらずここまで読んで下さった方、ありがとうございます。

12:13

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